思い出を順不同で気が付くままに綴っています。
衣食住の中でも母が一番苦労していたのは何と言っても食料でし
した。 家の庭は全部畠になり家族全員で野菜作りに励みました。
勿論小学校の運動場も全部お芋や麦畑です。
当時は「質より量」の時代ですから、ただ空腹を一時的に凌ぐには
「農林一号」や「沖縄100号」 というさつま芋が沢山出回っていまし
た。 大きなお芋で今では家畜の餌にする様な、味も素っ気も無く
大味の酷いものでした。
でも さつま芋は使い道が多く、ご飯に炊き込んだり、ふかし芋、
天ぷら、煮物、乾燥芋、芋かりんとうなど毎日の様に食べていました。
お芋にサッカリンかヅルチンをお砂糖の変わりに耳かきの様な小さな
スプーンで入れてジャムを作った事も懐かしいです。
お芋様々の時代が長がーく続きました。
食塩も薄茶色の岩塩の塊が配給され、各家庭で細かく砕いて
使っていました。
イナゴは佃煮、タニシは酢味噌和えにして誰もが平気で食べて
いましたが、今ではもう無理でしょうね。
何よりのカルシューム源だと無理やりに食べさせられていました。
イナゴは取るのが面白く、友達とワイワイ言いながら海岸近くの
あぜ道を走り回ったことが懐かしいです。
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私の父は明治27年生まれの頑固一徹の人でした。
新憲法が出来たら、それに従うと何時も口癖でした。そして
昭和22年5月3日憲法発布の日を境にして、あんなに厳格な父の
姿が一変しました。
昔の厳しさは現在では通じないでしょう、懐かしく思えます。
GHQの改革で日本国全体が封建主義から民主主義国家に政治、
経済、教育(6, 3制)(男女共学)など良い面、悪い面が多少出て来
ましたが戦後の大改革でした。